2009年9月6日日曜日

Managing across cutures

この授業では複数の文化間での作業のマネジメントのポイントを学びます。

先のケースとマネジメントの授業はVlerick MBAの目的、その後の仕事の概要、そしてMBAでの学習の意味を大まかに把握するために重要なものでした。一方、こちらの多文化に関する授業は、88人、41の国籍の学生で実行されるVlerick MBAのインターナショナルな作業のガイドとなるものです。さらには、理想的な多国籍チームというものがどういうものであるのか、例を示してくれるようです。

今回第一回目の授業では、かなり幅広い方面での文化間での差が提示されています。
1.環境との関係
2.男性的・女性的
3.時間感覚
4.コミュニケーション感覚
5.空間感覚
6.権力の配分
7.社会構造
8.ルール感覚
9.考え方
です。

単純に知的好奇心の観点から面白いと思ったのは、時間のとらえ方に関するとらえ方でした。これは、文化圏によって時間が初めから最後に向かって一直線に進んでいくという見方と毎日サイクルが繰り返していくように考えるという見方とがあるというわけです。

僕の場合は、実はサイクルでは見ていなくて、直線で見ているということがはっきりわかりました。アメリカ人などでさえもサイクルで見ているようでした。たぶん、日本は特にサイクル型なのではないかと思います。ロジックも直線型とサイクル型があって、僕は小学校の時から直線型、一般にアジアはサイクル型だといいます。

あと、善し悪しのとらえ方で、恥じるという見方と罪であるという見方との二つがあるという話も印象的でした。割と「恥じるという感じはどういうこと??」という位、恥に対する見方が薄い国の人がいたりします。そうして、僕は恥という感情に支配されている日本から来ているので、まあ思わず、いや、恥はわかるよ、という反応をしてみたところ、先生にちょっと説明してみてよと、突っ込みをいれられてしまいました。これが、今回MBAクラスの中での初めての発言となりました。

中々意見が言えなくてもどかしいなあという感情に支配されていたため、思わず、その、英語で発言することの、日本人にとっての難しさと絡ませて、恥についての説明をしてしまいました。例がよくなかったなあと我ながら思いました。周囲に対する日本人の意識の強さと、その元になっている周囲の意見の重さ、などを説明しました。実はこの理解のバックグラウンドになる日本人の恥に関する意識について、以前どこかで読んでいたので、その後のDeanの家での飲み会では、何人かのクラスメートに、農耕文化と集団作業の日本人にとっての意味の重さからその結果としての腹切り、やくざの指つめに至るまでを一応解説しておきました。

話は前後しますが、そもそも「多国籍集団での作業というのは、生産性が悪すぎるのではないか?」という疑問が頭をもたげます。この授業の中では、各文化の著しい差、そのために起こる不信、紛争などをうまくマネージメントしましょうという方向なのですが、そんなに難しいなら、いちいち、多民族で作業するのではなく、日本のようにモノカルチャーでやれば、すっきり簡単、生産性も上がるだろうという気がします。これは、僕自身のロシアでの実務の中でも当然のように湧きあがってきた疑問であり、この疑問があったからこそ、世界のMBAの中でももっとも幅広く多国籍で人材を集めているVlerickに興味を持った理由の一つでもありました。民族の固まりを最低限にすることによって、日本人だけで固まってしまうというような、よくある留学の風景になることを防止しているのだと理解できました。そして、そこまでこだわっている多民族性ですから、当然に、「理想的な多文化マネージメント」というものを論理面、実務面で提示されるはずだと感じていました。

先生の話では、実際にそういった成功例を今後紹介していくとのことでした。また実際問題、日本企業でさえも他国に進出するにあたって、モノカルチャーでやっていけるわけはないので、今後ますます、多文化マネジメントの重要性は増加していくと思われます。そしてそのように、授業の中でも解説がなされていました。

後この授業で使われたケースは大韓航空の事故発生に至るコミュニケーションの問題を扱ったものと日本企業での不可解な人事決定に関するものでした。

先生は北京のVlerickMBAで指揮をとっている人物でした。ニュージーランド人で、日本やタイでも実務の経験があるようでした。来週もまた授業があるので楽しみです。

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